365日坊主

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渋家2021年版ステッカー刷ったよ

ステッカー-1
ステッカー刷ったの3年ぶりぐらいかも。文字をギリギリで攻めるの楽しい。台紙に文字が残るギミックもあるよ。限定100枚。渋家:別荘に来た人に渡す用。
  1. 2021/03/04(木) 16:07:00

むずむず、むらむら

生活の作り方が分からない。10年ぶりに一人暮らしみたいな生活をしている。生活とは何か、いまだつかめていない。シェアハウスと違い何をするにも手間がかかり、えいやっと動かないと時間がすぐに過ぎてしまう。するとそれは生活ではなく漏れ出ている何かにすぐ変容してしまう。うろうろ、そわそわ。身体が落ち着かない。コーヒーを飲んだり、お酒を飲めばキチンと椅子に座って仕事ができる。だがそんなところではないところで生活を築きたいのです。日課だ。日課を作ろうということで、朝9時に起きるなどという人生初の試みをためしている。すると自然と夜の9時には寝ようという気概が湧いてくる。そこには太陽の塔がある。内部に広がる生命の樹。すべては理解しえてないが、3%、3%のエネルギーが身体に流入している。戦争真っ只中、匍匐前進で進んだ先に見えたひとつの小さい花。それにものすごく生命力を感じたらしい太郎は、大阪万博へとつながっていく。ブラジルとまでは言わなくていい、渋谷と大阪はつながっているのだ。あの千里丘陵を通じてどこでもドアのように。ピシィ。空間にヒビが入る。今いる自分の立ち位置を確認してみよう。これは自分で決めたことか?いいえ。これは他人が決めたことか?いいえ。すべては川の流れのようにそこにいて、そこにある。離れているようで離れていない。それぞれが居るべき場所に向かって佇んでいる。この大きねうねりを感じたい。「あ、今わたしはなにをしているのだろう」とハッとする時間。それこそが生きている時間で、それ以外の時間は無意識という自動運転によって動かされている。生きている時間は1日30分ほどだろう。1985年、内田裕也がニューヨークのハドソン川で「昨日は、何時間生きていましたか。」と問いかけるPARCOのCM。それよりずっと前の1949年にはもう岡本太郎が「人間が機械に支配されている」と警告していたってのに。ハッとする瞬間。瞬間そのものを捕まえる。見つける。またハッとする。たぶんそれが爆発だと思うから。
  1. 2021/03/04(木) 10:01:43

起床、即、執筆。

今日は朝がやってきた。僕は大阪にやってきた。2021年2月18日の夕方にやってきて今は2月24日の朝10時。渋家というブランドが宙ぶらりんになるということで始めたプロジェクトも、気づいたら新・新世代が生まれ齊藤広野の理念が実装されている。これは嬉しい誤算だった。とはいえ3月1日から渋家大阪編を開始するためにもいろいろ準備をしないといけない。それはこうして文章を書くことであり、ステッカーを注文したり、サイトを更新したりするのだ。とはいえ引き続き仕事が来たり、進めないといけないものはある。文化庁や齋藤恵汰とのやりとりも進めたい。と書いている間にも入稿をすすめてしまった。たまに朝起きて文章を進めるのがいい。
太陽が差し込んでくる大きな窓の部屋。次から古民家へと移動する。名前もやんわりと考えていたが渋家:別荘に決まりそうかな。っていうか自分のサイトも更新しなくてはだし! 地味なタスク、地味タスが溜まっている。駆け足で走るぞ〜。大阪は雰囲気が自由でよい。国が言うことを「ああそうですか」と受け流す胆力がある。これはとっても大事なことだ。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のタイトルを「冥王星から来た宇宙人」に変更させようとした社長を受け流したときのような逆らわず、従わずのエネルギーに満ちている。市井の者として生きていくときに、どうしたらこの大きな歴史のうねりと付き合っていくか。それの答えな気がしている。窓ガラスを割らなくても、バイクを盗まなくても、ただ普通に街を歩くだけで反抗になるのだから面白い時代になってきた。この愉快で楽しいチャンスを生かすか殺すかキミシダイ。地方出身者は実は親しかった人、信頼していた人が差別主義者だったということで落ち込むこともあると思う。ただベールが剥がれただけだ。パニくるな、テンパるな、アワテるな。穏やかに過ごせばいい。
放射線量が報道されなくなって何日たつ。いま東京がどういう状態なのか知るものはいない。味噌汁は混ざっているようで混ざっていない。沸騰するぜこれから。チンチンのサウナから出たらまずは水風呂に入ろう。水中でも稼働するエンジンのように、冷却し続けなくては動けない。
今は藤田直希がベッドで寝ている。目を覚ます様子はない。気づいたらもう11時49分。ゆっくりとした午前中だ。今日も昼がやってきた。
  1. 2021/02/24(水) 11:51:16

おとなもこどもも犯罪者も

作品制作とはなんなのだろうか。劇作家と同じくらい写真家の仕事は分かりにくいので、みな言語化に困っている。というか、身近に写真家が減った気がする。あれか、小林健太・稲葉あみが身近にいないだけでこんな孤独感がすごいものなのか。作品についてもっと知りたい。何をもって作品たらしめるのか。これまでは「ここから」「ここまで」と境界線を定めることが作品行為なのだと思っていた。これからはこの作品の定義をアップデートしていく必要がある。そもそも境界線を引くのがダルいので言ってしまえば作品が無いことが困りごとなので、作品を制作するためには作品の定義を変えなくては自分の場合成立しないので、なんとかzineという形態でもって「はじまり」も「おわり」も内包されたフォーマットを使っていた。そうではなくきちんと人生を人生として取り扱える新概念が必要だ。プリントでも、zineでもない新しい作品を創造しなくてはならない。大仕事のように思えるがまた誰かからパクってくればいい。zineだって、もともとはアメリカのストリートカルチャーのものを写真用に転用しただけのもので2012年当時はそれは一番取り扱いやすく手軽さがよかった。とはいって写真集となると重さがパないので、これはけっこう特別なリリースのためにとっておきたい。

最近、‪増田捺冶‬がアルバムを出すらしい。アルバムという形態は最近気になっている。アルバムは誰の家にもあるものだし、言葉に付随しているイメージもいい。「ドメイン」=(部分)というのも気になっている。「デッキ」=(甲板(かんばん)、(トランプカードの)ひと組、麻薬の小さな包み)概念はとりあえず落ち着いた。当初から話している写真=「デッキ・手札・プレイ」概念はとりあえずお休みさせることにする。「撮影環境・写真・写真作品」というように言い換えることもできるが、とりあえず建築のことを考えるのはまだあとだ。勉強することがたくさんある。マドリンギンズや荒川修作の本をきちんと読まないとそこから先に進まない気がする。写真は美術とも生活ともほどよい距離を保っていたいものだ。

クリーンな世の中になってきた。より写真という犯罪に手を出す人が減っている気がする。もちろん気のせいだ。まだまだ犯罪は機能しているし、法律のせいで自分を制限するつもりもない。だけれど私写真的なものは街で身を潜めた。面白い写真を撮っている人も見えなくなり、私の体自体も鈍重になったのだろう。サマンササマサがいる。だから若い世代の情報はそこに頼ろう。おれは同世代を探す。ネットも信用できなくなり面白い人はネットにいなくなるだろう。そうなったとき頼りになるのは基盤のコミュニティ。それからピュアな人間関係。社会は人と距離を取るように要請している。物理から身体を抜くように、私たちは身体を失わされていく。人権ってなんだと思う?君はどう捉える?と世界が、そして僕が問われている。このチャンスをものにするために、どう行動する。

又吉美輪、又吉啓による「遊びが本になる!風景を集めるワークショップ」が沖縄タイムスと那覇市の広報11月号に掲載され、いよいよ地域が活躍をはじめて来た。私たちのことを無視していた地域が、いよいよ私たちに興味を向けてきた。これは伏線だ。もう地域への私たちの分裂が始まる。そんなとき頼れるのは「近くの他人と、誰」なのか。問われている。走らなくちゃ。それはもっと移動することだったり、距離が遠くても愛を分配する方法だったり、実はこっそり会うことだったり。

好きな人と好きな時に会う。それが犯罪になる未来だって全然ある。これは戦争だ。きっとそうなのだ。だからこれまで以上に……というか初期に戻ったのだ「写真の犯罪性」が。魂は取られやしないが、大切なものが取られるようになる。もっと具体的に。だけれど犯罪を続けよう。イリーガルがリーガルを取り戻すまで。MAKE PHOTO GREAT AGAIN.写真という解像度に耐えられなくなった国民をどうする? 一億総YouTuberになるまで君はほおっておくつもり?
  1. 2020/11/04(水) 17:06:36

ぼくは(また)仕事ができない

また文章を書いてしまうモードに入ってしまう。
‪増田捺冶‬と出会って「HIPHOP」というものと出会い直したとき、あらためてテキストの自由さに気づいた。もっと踊るように誰もが文章を書けるはずなのに、気づいたらTwitter仕草でもって140文字に押しとどめられている。こうなると、僕はずっと部屋をうろうろして文章が音楽のようにスピーカーから流れてしまうので、これを急いでキーボードに叩きつけて記録する。手書きじゃありえなかったことだ。渋家の中島晴矢の文章がよくてつい返答の文章を書いてしまった。「大人ぶってる君たちへ」だ。

タスクをもっと進めたいのに、なんか集中できないときは、すぐ文章モードに入る。Twitterでリリックを書いて8行というルールに着地させる。気づいたら昼に起きたのに18時なんか目の前。脳を休めるときは風呂に限る2時間ぐらい使ってYouTubeを見る。風呂に入っているときは動画を見てもいいルールを自分に課したら長風呂できるようになった。人は変われる、俺も変われる。落ち着きのある人間性を取り入れた気がする。ただキーボードを叩く指の感触が気持ちいい。富士山もびっくりしている。もし、彼に顔があればなのだが・・・。お話しできるのに。

レコーディングしたいのに場所がない。よしぼはお母さん禁止令があり、たくちゃんは仕事が忙しい。なかなか遊ぶようにレコーディングするタイミングがない。僕には悪遊びする友達がいない。いるけどいま台湾にやつはいる。だから僕は日本で孤独、孤独を楽しめっってことかな。現状を現状としない祈りの能力、おれは身につけているはず。きっと。きっと。どんな想像にも力があって、どんな言葉にも力があることようやく分かったよ。若い頃は「発言じゃなくて行動を見る」だったな、だけど祈りに効果はあるし人間の力はものすごい。1人が変われば世界が変わる。このことについてもっと恐ろしく気をつけなくてはならない。すると地球環境に気を使っている自分がいてウケる。川の水がそのまま飲めなくちゃおれはいやだ。楽しい場所は自分で確保しなきゃだ。

渋谷がガラっと変わってしまって、東京に帰ってきたら消費税が10%だった。びっくりだぜ。これで「おじいちゃんが若い頃は渋谷はこんなんではなかった」って発言ができる。歴史の証人になれたことが素直に嬉しいよ。人生にチートはないけど、チートシートなら作れる。ただみんなで技術を付けよう。ひかるくんの受け売りだけど、きっと金がないなら技術だけが自分たちを遠くまで優しく連れて行ってくれる。きっとそこには温もりがある。そこに到達するまでもっとがんばろう。がんばれなくなったら死ねばいいじゃん。死は遠くない。そう考えたら気軽になった。めっちゃ満足して死ねる気がする。そういう自信だけは人に勝てるのに。技術はなんにも勝てない。得意分野もなにもない。好きなことも、上手なことも、社会の役割もわからない。現在地が何もわからないまま生きてきた。だから上や下や右や左ばかり見てしまうのだろう。自分の弱さはそこにある。だから強くなるために鍛えよう、勉強しよう。それが本当の「生涯現役」ずっとずっと楽しく学習しよう。
  1. 2020/11/03(火) 18:08:38

面白人間の条件

いい天気だ。最近はなぜか朝5時と9時に一旦起きてしまう。9時となったら起きてしまうのだけれど、寒い中起きてパソコンに向かう。労働に追われつつ何かを進められる気配は感じてきた。本当にここ2ヶ月ぐらい労働ばかりなので仕事をしないといけない気がしている。会社からヤバ目な匂いはしてきていないので、キングと忘年会の計画を立てている。昨日から立て始めた。あやふじくんも到来してきていよいよ完全体となったシーズン2の様相を呈してきているので、ここで一度会社のリソースをしっかり把握しておくタイムかもしれないので、忘年会で彩藤の持っている技術をあたらめて脳内に入れておく。

アートにエールをや、文化庁の助成も無事進んでいる。のかな。戻しが二回会った以降、審査中なので無事に進んでいると願いたい。ビザ取得の行動もとっていきたい。過去のデータっていったいどこにあるんだろう。一度まとめてクラウドにまとめたいものだ。それはきっとサイトの更新にも役立つ気がする。今はサイトの更新がしたい。展示についてもふと浅草の例のホテルいいなぁと思い始めている。なにかしら人と会う行為がしたい。渋家が名前変わる件についてもドキュメントしたい。あのコミュニティがどうなっていくのか、本人たちはこの歴史性をどう思っているのか意識的に残さないとなくなってしまうのでやるならやらねば、という感じ。福原拓海はなにをしている。(今調べたらFacebookもTwitterも出てこなかった)職を得てからそういえばSNSやっているイメージないや。

昨日はFBにも文章を投稿した。‪増田捺冶‬が仕事が欲しいそうなので、FBでも効果があるのかどうか。きっと文章はじわじわとしか効果ないのだろうな。潜在意識に語りかけている。ここからはビジュアルと動画の世界。作品を作りづつけた者が見えるようになる。踊りだ。踊りを考えよう。渋谷の偽物中華、アメリカンチャイニーズについて思いを巡らせよう。身体の動かす先に何かがある。

この前、花崎草さんの新大久保UGOでのパフォーマンスを撮影した。カメラを回すのは楽しい。そしてYouTubeの更新も2週間近く泊まっている。素材ばかりが溜まっていくエネルギーを堰き止めねば。いまも編集画面は開いているが労働に追われてSlackばかり開いてしまう。これならバイトしているほうが時間に区切りがあってよい。労働は無限。インフィニティーだ。この危険についても考えなくてはいけない。そろそろ〇円ハウスの坂口恭平さんの本を読む段階なのだろうか。きっとそうに違いない。まずは田中元子さんの『マイパブリックとグランドレベル』を読むところから。

歌も歌いたいのによしぼから連絡がこない。待ってるだけじゃすすまねぇぜ。こっちから連絡とってみるか。たまには茶を構えていく気概が必要だ。寒いと、関東にいるとそれぞれ距離が遠くていやになるぜ。会うことの価値が下がっていき、いずれみんな地方に移住するにせよ政府はポイントで人々の行動がどれだけコントロールできるか試してる。デスノートを見よ、人はかならずテストをしてから本番に向かう。ポケモンGO、Go to トラベル、Go to Eat。どれもコンピュータで数字をいじるだけで人の移動がコントロールできる。Facebookと同じことが起きてる。

まずは年末に向けzineを売るところに標準を合わせる。ホテルでの展示も気になるところだが予算がかかる。今の空気じゃ赤字だろう。形だけでもいいかもな。2020の項目が空のままじゃあれだしな。さぁ、仕事だ。
  1. 2020/10/29(木) 10:11:27

自分との約束なので昨夜と今を繋ぐ

朝、鬼のように眠い。
1週間ほど前から年末を意識している。誰よりも早い「あけましておめでとう」はとうの1ヶ月前に済ませた。五十音や古事記についても調べたいが書籍が高い。コバケンも記憶ではこのあたりから入ってきたような気がする。3年前の台湾の記憶。仕事がなかなか終わらず、焦ったクライアントに付き添うばかり。もっとゆっくり並走すればいいものが出てくるのにな。今井桃子から画面右上に通知、きっと飲み会の相談をしているに違いない。

年末。年末といえば新年であり、新年とえばサイトの更新である。昨日はフィルムの現像を10本出した。どうせ出すならまとめて多い方が楽でいいと思い思い切った決断を。これで見現像は3本+モノクロ8本ぐらいとなってしまった。楽しみは延長戦へ。‪増田捺冶‬は「火タイプ」特有のスイッチが入って制作に入った。「翌日は普通に動ける前提で」といいながら高熱を出していたので、こうなったら遠隔の僕は手を出せない。落ち着くまでタスクや創作の話はしないほうがいいだろうなと思ったので黙っている。‪増田捺冶‬の会社はいわゆるミッションやビジョンを設計するような起業タイプではないので、むしろ家族経営の手法が合うんじゃないかと思って調べたけどまともなノウハウを書いている人がいなかった。「家族以外のスタッフに平等に接しましょう」ってそんなことはわかってるわ。

身体を動かしたい。台湾を出発してからランニングをしておらず、身体を動かしたい欲があるが家の近くは走る気にならない。意外と同じ場所を回るトラックが大事だったのだろうな。あそこ気持ちいいしな。距離も測れるし時間も測れる。水も置いておけるのも強い。日本だとジムにいくしかないようだ。そのかわりサウナがあるからいーもん。あれは身体を冷やすのがいいらしいね。

藤田直希が免停になってからそろそろ1ヶ月半がたつ。あと2週間ぐらいで復活か。車があると心持ちも変わってくるんだろうな。どうも車は好きになれない。運転したことはないが、運転するのだるそうだし、狭い空間と椅子に縛り付けられるのも苦しい。トヨタのウーブンシティについては調べている。車という概念は滅んで欲しい。車のための舗装、車のために整備された法、車のために整備されたシステム。ここは人間様が歩く道だ。どけ。

年齢とともに「やる気」の価値がぐんぐん上昇している。技術とかテクニックに見飽きたからなのかもしれないし、だんだん「やる気」のある人が減っている気がする。もちろん自分の年齢での観測範囲だけど。18歳とかはやる気があるのかもしれないけど自分が接している範囲は19歳〜35歳ぐらいだなぁ。たしかワクミちゃんが18歳だっけか。技術あってもやる気ない人は疲れるというか、結局頑張ってるの自分一人だけになるのがさみしい。だから最近は自分でプロジェクトは起こさず、他人のプロジェクトでモーレツにがんばっている。‪増田捺冶‬はもう雑誌を作らないのだろうな。YouTubeチャンネルを更新しなくなったのと同様に。雑誌については1ヶ月ぐらい前までは僕がどうしてもやりたかったので急かしていたが、最近の様子をみていたらやることがないのだと見ていて分かる。社会課題みたいなのが分散化しすぎて「社会ごと」と「自分ごと」の交わる交点や切実さが見出せないのだと思う。こんなときは歌うしかないよね。

フィルム写真についての情念が最近ヤバい。文化庁の助成金でカメラを買おうと思って調べていたらマジで魅力的なカメラがない。こまいっちんぐ。フィルムならどんなカメラでも奇跡の呼び水なのに、デジタルはXとYに素子が並んでいるからだめなのだろうな。素材自体に偶然性が織り込まれてる強さがある。無くなりはしないが、延々と値段が上がっていく道楽になるだろう。ここに革命は起こせないものか。若者に流行ってもここまでが限界だ。また198円に戻してくれないと盛り上がりもない。鶏も卵も死んでる。ほんとうのミイラになっちまった。いまや現像+データ代の方がフィルムよりやすい時代。いっそのことモノクロフィルムがくるか?まだ生産してるし。いやいや、もう終わりなのだ。終わりを受け入れて終わりからの始まりに手をかけているのにカメラはまだ決まらない。ニコンのAFも直さねばな。
  1. 2020/10/28(水) 10:50:37

2020年2月22日のお散歩

年が明けた。ジョギングを始めて1日おきに2kg競歩したり走ったりしている。
仕事は相変わらず忙しくなってきている。
流れに流されていくことは気持ちがいい。

永安市場で降りて、カフェに行こうと思ったらお腹がすいてきてやめた。
たまにタスクが手につかなくなるので外で状況の整理。
雑貨屋に行ったら「叁朝屋の水道の勢いが強い」ことを思い出し、整流板的なのをゲットした。
ふと店内を歩きながら祖父と最後に会った日を思い出してしんみりしていた。
人のオーラを初めて見た瞬間だったのかもしれない。

走っていると体力が自分についてくるのがわかって楽しい。
17分台だったのが15分台のペースに移行してきている。今までわからなかった体調の差にも気付けて楽しい。
トラックは空が広く気分もリセットされる。空の威力はすごい。
日課というかルーティンができるとなかなか良いのかもしれない。

夜。白線だけを見て歩く。月明かりの中、トラックの線が見える。
人類がお湯に色をつけたお茶がすごい。
葉っぱを煮出した水である。宇宙人もびっくり。
不純物のないピュアな太陽エネルギー。
チャクラが開くのが分かる。
すべてが静電気と波動と振動で、コンピュータみたいなものだとしても、お茶は本物だ。
野菜や肉のように土のエネルギーや、余計なものが入ってない。
現代人の我々でも驚くのだから、古代人はもっとお茶からすごいものを受け取っていたに違いない。

山田奨がとてもいいやつだった。この前の通話でふと苦労が垣間見えて愛おしくなった。
‪増田捺冶‬はすごいやつだ。すごいやつだからこそ外側をきちんと固めていかなければならない。
その実力が自分にあるのか分からないが、やれるだけやってみる所存である。
たまに21歳であることを忘れるが、けっこう起伏が激しいのであまり仕事を入れすぎないようにしたい。
瞳から電話がきて「なつやを飯に誘ってほしい。元気がない」とのことで火鍋に誘った。動けないようだ。

最近は映像とバーに興味があるらしく、地下室についてはとんと何も言わなくなってきた。
まだ出会ったばかり、なので。興味の移動速度が読めなかったが、きっと半年周期ぐらいなのだろう。
お互いいい感じに力が抜けてきて叁朝屋もいい感じだ。
当面は家賃がギリギリなのをなんとかしたい。
2月で人が抜けるので、それん補充もしなくては。
家賃自体が安いので当面はなんとか借金で乗り越えていこう。
気を抜いたり、怯え腰になると「叁朝屋の価値を上げよう」としてしまうので、そういうったものを丁寧に排していこう。

一人でいると12月に別れた恋人を思い出す。もう2020年の流れに切り替わったというのに。
まだ2019年が流れ込んできている。
言い出せない言葉を先に拾うのが役割だったのに。

Youtubeを更新しよう。ブログの7倍は速度が速い。シュパーン。
クリスマスツリーを片付けよう。
  1. 2020/02/24(月) 00:01:53

インモラル、そして人間は一枚岩じゃない

人生の課題というのはもっとゆっくりでもいいはずだ。もっと他人のことばかり考えて生きていてもいいはずだ。と書いたところで、そのあたりが人間の科学的な限界なんだなと分かる。2人の問題とか個別に分割するほど解決するポーズしかとれなくなってしまう。この世から結婚制度が早く無くなることを祈るのみ。祈りの技術を高めていきたい。今は奇跡と地球を使って活動のチャンスを広げることに専念している。作品を作る気にはなれない。今はただ恋人への贈り物を探したい。 8月19日にここまで書いて放置されていた文章を進める。 5月から始まった叁朝屋もいよいよ9月を迎え、4ヶ月が経過している。日に日にかかるお金も少なくなってきて、月末までお金が持つようになってきた。増田も僕も初めて場所を持つ体験をして日々勉強になっている。友人同士のシェアハウスから追い出されたメンバーが、たまたま叁朝屋にたどり着き、保証人となった。そんな彼を増田はどうするか決めかねている。と、書くと優柔不断と思われてしまうので補足すると彼は判断を「先延ばし」することをライフテーマとしている(少なくとも20代の間はそうだろう)。そして判断しないことへのリスクがじわじわと叁朝屋を苦しめている。現実はいつも強い。一個人の理想など吹き飛ばしてしまう。そのような状況で判断を迫られている増田。「ソーシャルネットワーク」ならプロットポイント、「全裸監督」なら創業者をクビにするシーンに相当する。しかしここからの逆転劇は難しいと思う。彼の立場は相当に悪い。人は誰しも総合してプラスの時期や、マイナスの時期がある。僕たちとて例外ではない。ところが彼はそれをよしとし、ここのルールである「話し合いで解決する」という手段を拒んでいる。ここでどう判断するか、あるいは保留して火傷を負うか。序盤シーンの大きな見所だ。 彼が成長することに多大なコストをかけ、さらに彼の影響で叁朝屋に住まなくなる人を逃すリスクを負うのか。はたまた僕が提案する「理想を叶えるために反理想をする」という決断か。(これは増田が一番やらなさそうなので強く推してる。人格破壊かもしれない)人を出禁にする経験は数回あるがどれも気持ちいいものじゃない。でも理想を実現とはいかずとも近づけていくにはあるところで人と決別しないといけない。それは分断ではない、と言いたい。 またこの「2パターン以外の選択肢」を増田が取る可能性もある。(むしろ彼に物件まるごとあげちゃって僕らが別の物件へ移動する) 言語が違うと、スムーズに修羅場に移動できなくて大変なのである。 それから叁朝屋は慈善事業ではないし、はたまた幼稚園でもないのである。
  1. 2019/09/12(木) 00:40:13

グラヴィティ

台湾にきて2ヶ月が経った。けっこう情報量的に寂しくなるかと思ったけど意外とバランスが取れている。ネット世界だからかもしれない。69日から禁煙している。ついでに今日からtwtterもつぶやくのをやめてみる。


軽やかに見えるらしいという発見があった。あれもこれも自由に軽やかに楽しめたのは齋藤恵汰や中島晴矢がロジックで家を作ってくれていたからなので、それらの庇護無しだとどこまでいけるか不安でもある。しかし我々には増田捺冶がいる。もういまや誰も書かないブログを書き、youtubeを更新し、instagramで呼吸する。いろんな手段が増えたものだ。2008年からは想像が付かない世界だ。それほど2008年というのは自分にとって大事な年だった。ブログを始めたのが2006年だったのに、始まりは2008年のように感じる。まだまだCDDVDが生きていて、Netflixはビデオレンタルの補助的なものとして「ネット配信」を開始した。


[給水大臣ゆうき]

https://www.youtube.com/channel/UCsCAyRcMOTEOYWfsohlW4BQ


令和も始まったので、ね。2019年にyoutubeを始めるということに照れもある不思議なSNS.山本悠と会ったときにyoutuberの話をされて乗っていない自分を自覚してから気になっていたのかもしれない。瀬戸内寂聴がケータイ小説を書いたときのことも思い出した。(調べたらこれも2008年の出来事だった)


というわけでチャンネル登録よろしくねっと。それから山本悠がYoutubeの理念に「世界には色んな人がいる、ということが分かるため」という話が普通に感銘を受けている。海外の言葉も分からない子供が料理しているチャンネルや、ただ座っているだけのチャンネル。それぞれみんな統一性をもたせつつも共存している。そのワールドワイドな世界に乗ってみたかった。(それはブログやTwitterがなし得なかった、instagramも惜しいところまで行った)世界線だと思う。


そしてこれはニコニコ動画が歩めた道なのかもしれないと思いを馳せる。カルチャーを維持しつつ収益構造をユーザーに開放すると何が起こるのか2008年は知る由もなかった。あれから劇的な変化は無くなったと思う。プラットフォーマーは固定され続けてて、未だ2019年にまだTwitterをやっているとは思わなかった。


小林健太・稲葉あみ・秋山遼と久々に(いや、初めてか)湘南で焚き火をした。海は意外と寒くなく、火にあたるとちょうどよかった。こういう時間が人生において何回作れるのだろうか。増田捺冶は高橋修と誰かが考えないといけないことを考えてくれる。とてもありがたいと同時に、こういう議論がどんどん世界から見えない場所で行われる寂しさも感じる。生きづらいことを生きづらいと議論できない寂しさ。それらすべてが政治や社会福祉の問題に回収されるやるせなさ。問題は「役割」と「職業」と「ぬくもり」が足りないだけなのに。


今住んでいる場所は叁朝屋。サイトはまだない。

  1. 2019/07/16(火) 04:07:32

台北に住みました

2019年の5月9日になった。たぶんそれは海の上で、今は台北市に向かうバスの中だ。11日前に30歳になり、これから台湾で暮らすことにした。東京でやることがなくなり、居場所を新たに作るためだ。東京⇔沖縄という円環の中に自分を閉じ込めたくなかったし、なにより新しいことができればそれでよかった。東京に嫌気がさし、沖縄を開拓し、また東京を再発見したところで会社という帰る場所を確保した。この強化された地盤を東京で活用することができず、ずいぶんやきもきさせたと思う。この地盤は台湾で増やすことにした。端的に物価が安いしね。 2016年からギュウギュウに固められた台湾へのボルテージは今ここに点火された。今考えれば呼ばれていたね、台湾に。伏線の回収だ。木皮成くんも台湾がパフォーマンスの中心になると教えてくれていた。台湾に向かう飛行機の中で沖縄に行く時を思い出した。新天地への恐怖。こればっかりはしょうがないね。A地点からB地点へ向かう宙ぶらりんの状態。どこへも着地してないこの身体。

 (ここで飛行機から降り、15日まで時間が飛ぶ) 

時間が経つ速さに驚いている。雑誌令和の続きだが出発前日の8日に祖父が亡くなった。台湾に到着した日にお通夜に、翌日に葬式だ。人生初めての葬式に参加できなかったのは心惜しいが、こういうことなのだ。ライフステージに変化はなく、ただ同じレイヤーで移動し続けている。祖父が背中を押してくれたのだと解釈している。台湾にきて一週間。家具が揃ってきた。語学を勉強していると、勉強のやり方が分からないことに驚く。そういえば勉強なんてしたことがなかった。言葉を知るほど日本語の構造が明らかになっていく。そして英語も上手くなっていく。分からない時はとにかく英語に頼っちゃう。思うに自分がなぜここにいるのかと問うてしまう。もっと語学ができる人が行くべきだと思うという念が強い。けれど実際に動けるのは自分だけ。帰れない、居場所がないということはこういう仕事を押し付けられるのだ。ただそれだけを知って欲しい。家庭があり、土地に紐づいた仕事がある人にこの仕事のお鉢は回ってこない。ただ、この仕事にも伝統と歴史があり、高めていくことができると。ただ今は信じたい。
  1. 2019/05/17(金) 18:08:00

台湾到着

13日に髪を切った。初めての短髪。ツーブロック指定した。かやさんに連絡した。
14日に那覇経由で台湾到着。
住所をきいて増田捺治と合流。まずはカレー屋へ。
家にr8studioのメンバーが集まって発送梱包作業。86冊出ててすごい。
夜はみんなで夜ご飯へ。映画を見たり、映像を見せたりした。


1時間映画を完成させるのすごい。完成はとにかく奇跡である。
僕も唯一つくった映画を見せた。


渋家映画祭に出品した10分縛りの映画。「人が死ぬと時代かわるの面白すぎるでしょ!」というマインドを使ったギャグが今見ると新鮮。

次に大学1年の終わりに作った映像を見せた。

これは1stヘルハウスから渋谷に離れていく動画。
このテストが20歳の作品に受け継がれていく。
そしてこの1年後に撮った映像がこれ。



背景をシンプルに、色彩も無くして地味さを攻めた。地味が当時のブームだったのだ。
ほぼ10年前という時代を見ることができたと増田捺治は言っていた。

24時ぐらいに寝た。

15日は又吉チームらのライブ演奏があるという予定で動く。
昼から自転車で昼ごはんを増田捺治と瞳と食べに行く。
昨夜から台湾でヌード撮って雑誌つくろうよという流れになり、みんないいモデルさんに電話したりしてくれる。1人合流。そして撮れる場所探しで屋上を3つめぐり撮影する。ほぼフィルム。初対面の人のヌードは緊張する。
夕方は草御殿へ行き案内してもらう。そして、dream communityというプレイスへ行ってライブを見て、そこの人と話して焼肉屋へ演奏者たちと行った。
「不自然さ」について話した。
コミュニティは7年ぐらいで育つので、そこから何に変換するのか。それは都市に委ねられている。土地のエネルギーやメンタリティに依るところが大きい。交換可能性がお金しかないと、閉塞感につながっていく。那覇とはまたちがう台湾シーン。年代としては僕らより2世代上という感じ。50歳前後。ビルを所有して、アーティストをレジデンスさせて展示させている。徹底した自由が蔓延しているが箱がきれいで豪華なだけに不思議な感じ。これがオンボロ廃墟ビルだったら似合う景色なのに。
齋藤恵太が渋家を渋谷で始めたときのように、場所に対するセンスが超重要だと思った。
へとへとになって帰った。思い返せば、理想でもあるし、困惑でもあった。アーティストの応募を受け付けているわけではなく人間関係のネットワークだけで流動が起きていたのは良かった。システマティックにしなくちゃいけない規模なのに、そうではない感じ。

16日は、別のコミュニティ見学へ。「宝蔵巌国際芸術村」へ歩いていった。近い。山肌に張り付くようにコンクリのレトロ建築がコケのように群生している。まるでジブリ映画か。はたまた映画のセットか? 建築とロケーションが魅力的すぎる。これはまいった。まいったね。素敵すぎてもっていかれそうだ。サブカルでもなく、大きな規模であり、各部屋で制作が行われ、展示もされていた。ある種の理想である。少なくとも僕が思い浮かべる理想の状態すら超えていた。しかも田舎にあるのではなく、中心部から歩いていける距離だ。(15分という地味にめんどい距離ではあるが)。
周囲からはここに対する批判もあったり、社会とそれなりに接続しているさまが伺える。そして展示は正統派で、キャプションがあったり壁を使ったり等けっこう形式主義を感じた。本当のアートを受け入れる土壌があるのかは謎。でも、ここまでオルタナをやっていわゆる原宿の「デザインフェスタギャラリー」みたいにならないのは土地柄か。混乱と静謐が同居していて、普通に物件が欲しくなった。山肌に沿っているので、どの物件も日当たりがいい。道が迷路ですべてを保管しておきたい欲求にかられる。ひとつの参考エリアである。東京や日本では不可能だとは思う。
夜ははじめての釣り堀でのエビ釣り。

  1. 2019/02/17(日) 15:46:00
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2006年12月14日設置