




『彼は分からなかった』
ある日、彼は気づいてしまったんだ。
教室を見渡していて気が付いたんだ。
鏡を見ている回数が多い女子のほうが可愛いということに。
次の日は注意深く観察してみた。
かわいい女子ほど鏡を持ち、見る回数も多いことに。
そうでない女子は鏡を持たず、見る回数も少ないことに。
彼は幼すぎて因果関係が分からなかった。
可愛いから鏡を見るのか、
鏡を見るから可愛いのか。
でも彼は直感で思った。
「鏡を持てば女の子は何かが変わる」と
しかし彼はそれを口にすることはなかった。
そしてまた彼は気が付いた。
世界を注意深く観察し気が付いた。
かわいい女の子は「かわいい」と言われていることに。
彼は幼すぎて因果関係が分からなかった。
かわいいから「かわいい」と言われるのか、
「かわいい」と言われるからかわいいのか。
でも彼は直感で思った。
「かわいい」いって言い続ければ、可愛くなると。
そして彼は彼女に言い続けた。口に出して。
彼は幼すぎて言葉の力が分からなかった。
彼は毎日彼女に「かわいい」と言い続けた。
そして彼女が確実に可愛くなっていることに、彼だけが気づかなかった。
それは彼が幼かったから……?
『彼は言葉だけに気が付かなかった』
誰もが春の次に夏が来ると疑わなかった。
世の中には夏と冬しかないのに。
その中間をニンゲンが名付けただけ。
そんな彼も入院するときがきた。
なにかの病気があるようだ。
止るまもなく家族が呼ばれた。
父は愕然とした。
時が止ったようだった。
ドクターは彼の腹を開いた。
次の瞬間ドクターは目をつぶり、
黙って彼の腹を閉じた。
また家族は呼ばれた。
ドクターの言葉に、
父は息を失った。
体内の水分は目から流れて、
血液は逆流した。
彼は元気だった。
母は世界が白黒に見えるように、彼を家へ連れ帰った。
父は2本足で元気に走る彼を直視できなかった。
父は太陽になった。
明るく振舞い、笑顔を絶やさなかった。
もちろん涙なんて見せない。
母は海になった。
彼の服を洗濯するときに、においを嗅いだ。
この匂いが永遠でないことに触れた。
母は白黒の世界で泣き続けた。
「あと1週間で死ぬとしたら何がしたい?」
父は聞いてはいけないことを
訊いた。
元気に飛び跳ねる彼に訊いた。
彼は長い時間をかけて死ぬ前にやりたいことを話した。
○○がヤりたい。
××がしたい。
△△をしてみたい。
彼は普通の男の子に戻っていた。
父は太陽の変身が解けていた。
父は頬を伝う涙に気が付かなかった。
自分の声とは思えない嗚咽をかみ締めて、彼の前から逃げた。
彼は「あと1週間で死ぬとしたら」をただの質問として受け止めた。
この仮定をただの想像として片付けた。
口で言うだけで、なにもしなかった。
7日後の夜。
彼は風呂上りの身体に、新品のパジャマを着て寝床に向かった。
父と母に笑顔を見せた。
「おやすみ」
父と母は枯れていた。
「ああ、おやすみ」と父は口に出そうと思った。
父の声帯はピクリとも動かなかった。
彼は颯爽と階段をのぼり布団にもぐり目をつぶった。
新品のパジャマはいつまでも新品のパジャマだった。
『10円玉を使うとき』
17歳。男。高校生。
「俺」は反抗期に反抗するのがかっこいいと思っていた。
親の言う事には疑問ももたずこの歳までやってきた。
遅れてきた中2病。いわば高2病だ。
たとえば目の前にある十円玉。
これはここに来るまでに、何万人の手に渡り、
何千キロの距離を動いたのだろう。
造幣局で生まれて検査を通過して、銀行へ旅した。
ほとんど動かないときもあれば、たくさん動いたときもあった。
いろんな人に手渡った。そしていろんな場所へ行った。
コンクリに落とされたこともあったろう。
子供にタバスコをかけられたこともあった。
水の中にも入った。火の中も経験した。
ぼくの体が胴でできていることを知っている人はたくさんいた。
でも体重が4.5gだってことを知っている人はほんの数人だった。
直径が23.5mmってことを知ってる人は数えるほどしかいなかった。
ATMという機械の中にいる時間が長かった。
ぼくはレジスターと呼ばれる機械の中が好きだった。
でもその機械の中にいられる時間はいつも短かった。
テレビというものにも出たことがある。
お父さんと呼ばれるその動物はぼくを持ち上げて、積み上げた。
ぼくの上にのっかっている無数の10円玉が重かったので、体をゆらして崩してみた。
お父さんと称される動物は落胆していた。
10円玉を積み上げる番組を作るなんて、変な動物である。
その番組はほかにも「お父さんが、一円玉を吹いて、グラスの中に入れる」ことや
「お父さんが、ホッピングで、コースをクリアする」などへんなことをしていた。
「お父さんが、『エリーゼのために』を一音も間違えることなく、ピアノで演奏」というのは無謀であった。
そしてある日……
ぼくは少年の手に渡った。
そんなことを10円玉に思いを馳せながら俺は自販機の中へ放り込んだ。
『気づいた者』
ただ広がる白い息の中に
少年はただ一人ゲートボールにうちこんでいた。
彼の友達はみんな野球をしていた。
誰もがゲートボールを馬鹿にした。
でも彼は気が付いてしまった。
戦略性、協力性、ギャンブル性……
野球なんかよりずっと奥深いということに。
誰もがゲートボールのルールブックが
野球のルールブックより分厚いことを知らなかった。
でも彼はその奥深さに気が付いて、ただ打ち込んでいた。
彼の父親もまた言った。
ゲートボールはきっと流行る、ってさ。
でも彼は思うときがある「これをやっているのは自分だけじゃないだろうか」と。
批判にさらされ世界が狭くなっていた。
それでも彼は一人ぼっちだった。
あそこにいる彼が見えるだろうか?
海を見ようと井戸をよじ登っている彼が。
あそこにいる彼はなにをしているか分かるだろうか?
手に持つスティックが玉を打つ。
その先の程遠いゲートに玉が入る。
5人vs5人の小さなゲーム。
野球よりも
サッカーよりも少ない。
でも彼は気づいてしまった。
彼はいつか自分のしていることが
認められる日を見ながら空を見ていた
彼は笑顔と共に歩んでいた。
彼は気が付いてしまったから。
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