
一見、自分で自由に歩いているように思っていても
ふと上を見たら誰かに操られていたなんてことはよくあること。
魔術師の選択のように、気づかぬうちに操られていることがある。
上を向いて歩こう。
一歩引いて見られるように。
- 2008/10/14(火) 20:00:00|
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「脱ぐということについて」
作品を通して僕が脱ぐということは、どういうことなんだろう。
僕はそもそも人が怖い。自分を強く見せるために脱ぐ。そういう一面もある。
脱ぐという行為は、自分にとって、威嚇なんだな。
だからどうしようもないときは脱ぐしかない。
オブラードを剥がすことによって、相手へ強いイメージを与えることができる。
そしてこれはシャイな自分への反逆だ。逆襲だ。
スイッチを壊して、メーターの振れ幅をふっきるための儀式だ。
自分はどこまでできるのかな。というチキンレース。
ビクビクしながら自分の限界を肌で感じる。
そして自分が男であるための再確認。
裸ならば、否が応でも、下を見れば男と言うことが分かる。
「脱ぐことで、得られること。気づいたこと。」
脱ぐということで、知ることはたくさんある。
人の弱さを知る。物陰の音にとても臆病になる。
裸であることよりも、脱ぐ瞬間のほうが遥かに緊張感がある。
だからこそ全身の知覚神経がフル活動することに、一歩進んだ世界が見えてくる。
裸で芝生に寝っ転がることは、想像以上に気持ちいい。
全裸であるという非日常を使うことによって、脳に気持ちいい刺激が伝わる。
この興奮は自分への啓発的なドキドキ。
わかりやすく言うと創作のエネルギーを沸き起こしてくれる。
僕はときに全裸で外にいても、全裸ではないように振る舞う。
脳が全裸だと認知してないのだ。
恥ずかしい。超はずかしい。恥ずかしいからこそ、脳が急いでこの状況に慣れようとする。
そうやって必死に慣れようと脳が活発に動く刺激こそが、クリエイティブな精神にパワーをくれる。
Eureka!
喜びの表現だ。
Eureka!
快感だ。
Eureka!
楽しんでるんだ。
やなせさんにとってのヌード写真は、自分自身を見失わないための行為だったのかな?
対象が何であれ、写真撮影には、そういう自己認識の働きがあるように思います。
だって、写真に写っちゃったんだから、認めないわけにはいかないもんね。
- 2008/10/11(土) 12:00:00|
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照明器具は、暖かいなぁ。
そんだけ。
最近さむくなってきましたね。
風邪を引かないように気をつけましょう。
分かってても、寒さに体を任せて淀んじゃうことあり。
よくわかんないや。
- 2008/10/10(金) 10:10:10|
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なんとネットでも、水と写真の組み合わせを発見。
使い古されてるって分かってても面白い。
水は日常にあるからこそ、違う一面を見せられるとびびってしまう。
水のやさしいとこ、怖いとこ、すごいとこ。
- 2008/10/07(火) 21:55:55|
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