「教育2.0」というのを知っていますか?
「きょういく にいてんぜろ」と読みます。
これは既存の教育、つまり今の教育システムを「教育1.0」と呼んだときと対照に位置するシステムです。
教育1.0と教育2.0の違いを見比べてみると、まったく正反対なことに驚きです。
教育1.0の世界で生きていた人にとって教育2.0は奇特なものに見えるでしょう。
大人からみれば奇をてらった無秩序の世界に見えるかもしれません。
なぜならば教育1.0の世界になじみすぎてしまったから。
教育1.0の世界に長く住みすぎて教育1.0の思想が頭にこびり付くと、教育2.0を受け入れるのは困難です。
まず、教育1.0の世界での中学以下の教育は「小中学校」に独占されています。
ひとつの市場にひとつの会社しかないような状態です。
これはとても危険なシステムだということは一目瞭然です。
生徒は学校を選べないし、学校は独占という安心感から向上をやめ停滞を始める。
複数の学校があって、生徒はそれを自由に選べる。
これにより独占を防ぎ、活発な教育を保つのです。
「
教育2.0を紹介します」から引用すると
予算をどのように使うかがマスターの腕の見せ所です。
ここには最高の自由が許されていて、予算を100%使ってなにをしようが自由です。
それによりマスターの信念がそのまま学校になります。
(中略)
ただし、無茶苦茶にやると生徒は離れていきます。
なぜならば転校が自由だから。
駄目な学校からは生徒が離れていきます。
するとその学校は潰れます。
必然的に、悪い学校はなくなって、良い学校だけが残るシステムなのです。
こういう点ではマスターというのは「校長」ではなく「社長」に近い職業といえるでしょう。
このように教育2.0では人の動きが活発です。
生徒は常に「良い学校はないか」とアンテナを張り巡らします。
学校は「生徒に最高のサービスを提供しよう」と創意工夫を凝らします。
教育1.0では、こうは行きません。
生徒は自分に適した環境を求めず、自分の居場所を探すことをしません。
学校も努力して向上しなくても、生徒は逃げていかないのでダラダラと活動します。
教育1.0はとてもゆるいのです。
真剣にやっても、ダラダラやってもなにも変わりません。
すると必然的にダラダラした学校ばかりになります。
教育2.0はとても厳しいです。
だめな教育をすると生徒は逃げていきます。
簡素な書類手続きだけで30分もあれば転校が完了します。
それぞれの学校のマスター(学校の手入れ調整をする役職)はアイディアを競い、切磋琢磨して最高の学校を作り上げていくのです。
生徒同士だけでなく、学校同士でも向上し続ける環境は弱肉強食の世界です。
教育の環境だけでなく、内容も教育1.0はゆるいです。
決まった時間に、決まったことをすればよいのですから、馬鹿な生徒にとってはとても楽な環境です。
だんだん堕落していき自分で考え選択するという能力が退化します。
論理的な行動をしなくなり、「先生が言うことだから正しいのだろう」と考え、自分で考えることをしなくなります。
ただ、先生の言うことを聞いていれば優等生と言われるのでますます堕落していきます。
それに対して教育2.0はとても厳しい世界です。
決まった時間に、決まったことをするというルールはありません。
自由に、好きなように自分を高めることができます。
馬鹿な生徒にとっては地獄のような世界です。
自分で考えることができないので、自分の意見や信念を持ちません。
周りは夢や希望を持って自ら意欲的に学んでいるのに、自分だけポツンとなにもすることが見つからない……
逆に頭のいい生徒にとっては最高の環境です。
自分の信念・理念・美学にそって素直に行動できるのです。
学校は自分の行動を広げるために最大限の努力をしてくれます。
興味や関心、自分の夢に向かって突っ走れるのです。
前述で「馬鹿な生徒」と「頭のいい生徒」に分けて書きましたが、ではこの馬鹿な生徒は誰が生み出したのでしょうか。
それは教育1.0が生み出した生徒です。
教育1.0の世界にぬくぬくと浸っていれば馬鹿な生徒が簡単に出来上がります。
責任もない、自由もない。自分が高められないのは教師のせいだ、と責任を押し付けることもできます。
教育2.0はとても辛くて厳しいのです。
学校は「最高の環境」を生徒に提供します。
生徒は目の前にある最高の環境をどう使おうが自由。
自分を高める仕事は自分でやるのです。
他人に責任を押し付けることができません。
教育1.0は豪華客船の旅と言えます。
教育2.0は徒歩でジャングルを突き進むようなものです。
道を切り開く責任がのしかかります。
ただし、進む道は自由。
責任には自由が伴うのです。
人生の中で「責任の大きいほう」と「責任の小さいほう」を選択するときがあるかもしれません。
そこは「責任の大きいほう」を選択したほうが自由度が高いのです。
責任が大きいと自由に行動できない。
そういう人もいるかも知れません。
でも、それは間違っています。
責任が大きければ大きいほど自由になれるのです。
会社の平社員と社長を考えてみましょう。
平社員のほうが責任は少ないし、気楽です。
社長は会社の存続にかかわるため責任は重大です。
でも、どのように会社を運営するか、どのような方向性にするか「自由」があります。
人生でなにか選択するべきことがあったら責任の重大なほうを選びましょう。
なぜならば責任には自由が伴うからです。
自由というのは選択の自由。
可能性が広がります。
人生が楽しくなります。
もう一度言います。
責任には自由が伴います責任が大きければ大きいほど、あなたは自由になれるのです。
教育2.0の世界へ、ようこそ。
- 2007/01/14(日) 09:39:33
-
| Comment:13
教育2.0を見てきました。
ようすを少し紹介しますね。
まず、入学日について。
4月生まれから3月生まれまで12ヶ月の幅がありますので
生徒は6歳の誕生日が来たら自由に登校してよいことになっています。
登校時間は自由です。
朝に来ようが夜に来ようがかまいません。
ただ「週に3日以上は休むのが望ましい」というガイドラインはあるようです。
学年・クラスといった概念がないので番号で呼ばれることもありません。
生徒は学校に来て好きなフロアで過ごすのです。
学校にいる大人は、泊まり込みで手入れ調整を担う「マスター」
教えるのが目的の「ティーチャー」はいません。
生徒から求められたときだけ助言する「アドバイザー」が数人。
体調管理や保健相談の「ドクター」もいます。
生徒は学校に来てもいいし、来なくてもいい。
帰ってもいいし、帰らなくてもいい。
生徒が寝泊まりするのもかまいません。
シャワー室やバスタブも完備してあります。
キッチンもあるので友達同士でクッキングしてもいいのです。
学校のとなりには図書館があり、生徒はいくらでも本を借りることが出来ます。
もちろん生徒の転校も自由です。
自分に合う学校を探す旅に出る生徒もいます。
学校の設備投資はマスターに一任されています。
学校を出る時期は決まっていて18歳の誕生日に卒業です。卒業式こそありませんが、みんなから祝福を存分に受けます。
外部の人を自由に呼んでも構いません。
予算内であれば大学の教授を招くのもよいでしょう。
生徒の希望により宇宙飛行士を呼んで話を聞くのも面白いかもしれません。
すべてはマスターと生徒で話し合って予算の使い方を決めてください。
ピアノを買ってもいいし、最新式のパソコンを買うのも自由です。
地域住民から寄贈してもらったり、生徒が持ち込みで備品を増やすのも賢い方法といえるでしょう。
生徒は学校にお金を払いません。自分の投資にしっかりと計画することができるのです。
しかも、ある場合よっては生徒にお金が支給されることもあるのです。
それは交通費がかかる場合や、功績があった場合などです。
お金を払うのではなく、むしろもらえるというのは日本では考えにくいかもしれませんね。
学校によっては「カウンセラー」を置いたり、人事の自由もマスターには保障されます。
つまりマスターの個性がダイレクトに学校に反映されるのです。
それにより様々な学校が存在するのです。
自分に合う学校を探すために、放浪の旅に出る生徒がいるのも頷けます。
そういえば、学校にいる大人を言い忘れていました。
学校の警備を担当する「ファーザー」です。
彼らは日本で言う警察官のような役職です。
でも、制服を身にまとった怖そうな人たちではありません。
ジーパンにセーターというアットホームな服装で、笑顔がとても似合います。
不審者が学校に入ってきたら体を張って子供たちを守ります。
普段は、校舎に破損がないか見回ったり、用務をこなしています。
子供たちが「一緒にブランコ作ろうよ!」と誘ってくるならば、ファーザーは子供たちと一緒に木を切ったりして力仕事の手伝いをします。
学校には生徒数に応じた予算が毎年2回入ってきます。
なのでマスターは年に2回、国に生徒数を報告しなければなりません。
予算の使い道は、前述したとおり生徒との話し合いで決められます。
日本では「職員会議」という生徒が入り込めないスペースで勝手に決めてしまうので、ちょっと想像しにくいですね。
この辺も教育2.0の理念が生きていえるといえるでしょう。
学校を取り仕切るマスターも生徒と平等なのです。
さらにマスターには「校長」という名前は似合いません。
なぜならば「子供たちに最高のサービスを提供する」という理念の下に行動しているからです。
ただ事務をこなすのではなく、その自由もしっかりと保障されています。
学校をどのように運営するのかも一任されているのです。
予算の使い方によって学校ごとに個性が出てきます。
音楽機材やライブハウスなどを敷地内に構えた学校もあります。
体育館やスポーツ機材に予算を潤沢に使った学校も存在します。
予算をどのように使うかがマスターの腕の見せ所です。
ここには最高の自由が許されていて、予算を100%使ってなにをしようが自由です。
それによりマスターの信念がそのまま学校になります。
敷地や校舎を売り払って、インターネット上に学校を構えたマスターもいます。
予算をいっぱいに使って校舎をアスレチックのような忍者屋敷ともつかぬアバンギャルドな雰囲気を作り出したマスターもいます。
マスターというのはとても責任の重い仕事です。
そのかわり自由度は最高にあります。
責任には自由が伴います。
ただし、無茶苦茶にやると生徒は離れていきます。
なぜならば転校が自由だから。
駄目な学校からは生徒が離れていきます。
するとその学校は潰れます。
必然的に、悪い学校はなくなって、良い学校だけが残るシステムなのです。
こういう点ではマスターというのは「校長」ではなく「社長」に近い職業といえるでしょう。
次に学校の様子を紹介します。
校舎内を歩き回っていると6歳から18歳までの生徒が入り混じっています。
グループでなにかをしていたり、個人でなにかをやっている生徒もいます。
ペットのトリミングをする仕事に興味のある生徒のために、マスターがトリミングの先生を呼んで体験授業しているところもありました。
12歳の男の子が、6人ぐらいの6,7歳の子供たちと輪になって授業をしている光景も見られました。
逆に、15歳の子が18歳の子に教えている場面も。
彼らには年齢など「どうでもいいこと」なのでしょうね。
■教育2.0に興味を持ったなら
教育2.0と教育1.0の違いをまとめてみた 教育1.0から教育2.0へ
- 2007/01/13(土) 20:59:35
-
| Comment:12
僕の高校中退マニュアル 稲泉 連 (著)
またも面白い本に出合えました。
高校中退について詳しく教えてくれて、しかも体験記というおまけつき。
誰もが通る「高校中退」について読み解いていきましょう。
まずみんなが持っているイメージとして、どんなものがありますか。
「高校中退に対してのイメージ」
などなど奇特なこととして見られがちです。
周囲の人も決まって口をはさんできます。
17歳が人生と世界を考える - 苦悩によると
「高専2年生で辞めたらただの中卒」
「中卒やったら誰も相手してくれない」
といったものが多いようです。
いかにも「あなたのことを思って忠告しているんですよ」というニュアンスが含まれている。
いわば自分の価値観を他人に押し付けようとする行為の典型です。
しかも忠告してくる人は「好意」をもって接してくるのでたちが悪い。
たしかに高校中退というのは怖いです。
中退直前になると言いようのない不安感に襲われることもあります。
でも、僕は中退というステップを踏まないと前に進めないと思いました。
今までは曖昧に考えていた中退を実際に考えるとなんだか不安になります。
先ほど引用したように「中卒」という文字を見ると、「高校生」という肩書きがなくなるのは恐怖すら感じます。
逆に言えば、自分がいかに「高校生」という肩書きに頼ってきたか実感することができました。
「中卒は誰も相手してくれない」というのはメリットだと考えます。
中卒というだけで相手にしてくれない無能な人々を遠ざけることができます。
学歴しか見ない視野の狭いカチカチの人が一掃できるので、一般の人より一歩リードしたと言えるでしょう。
求人に「高卒以上」とか「大卒以上」と書いてある無能な会社に就職する危険もありません。
面接に行って、中卒という理由で落とすような会社はこっちから願い下げです。
たとえ面接で落とされたとしても、後悔するのは10年後、20年後の採用担当者です。
中卒というのは、人を見極めるフィルターとして働きます。
無能な人を遠ざけ、有能な人ばかりが自分の周りに集まってくる。
そういうのって素晴らしいと思いませんか。
冒頭で紹介した本は高校中退のメリットを教えてくれて、体験記も載っているので不安な気持ちを払拭させてくれます。
高校中退しようと思っている人。
すでに中退しちゃった人。
すべての人におすすめの本です。
興味が沸いたのなら、図書館とかで探してみてはいかがでしょうか。
○
まとめ中退は大きな武器となる
- 2007/01/12(金) 21:36:50
-
| Comment:30
学校には必要のないものがたくさんあります。
特にいらない物が3つ。
● イスひとつめは「イス」です。
硬くて面白みのないイスは必要ありません。
勉強は座ってやるものと誰が決めたのですか?
よく考えてみてください。アイディアが沸き起こったとき、議論が白熱したとき、楽しくでワクワクしてきたとき。
これらのときにあなたは座っていましたか?
すべて立っていたはずです。
座ることは脳みその活動スイッチを止めることです。
逆に、立つという行為は脳の活動を高めます。
学校に必要なのは、ふかふかのソファー。
寝っころがれるじゅうたん。
体をうずめるクッション。
ゆらゆらと揺れるロッキングチェア。
● 机ふたつめは「机」です。
机に噛り付き、死に物狂いで参考書の内容を脳みそにコピーする。
そんな作業は非生産的で退屈です。
そんな行為はスマートとは言えません。
机を学校から無くしましょう。
これが無いだけで教室がスッキリすると思いませんか?
机上の空論という言葉通り、机に向かっていて人生を変えるような出来事がいままでの人生に一度でもあったでしょうか?
人生を変える出来事は机に向かっているときに起こるのではありません。
人と向き合ったとき。自分と向き合ったとき。本と向き合ったとき。
学校に必要なのは、美しい丸テーブル。
友と語り合うカウンター。
あなたのお気に入りのツールを置くための棚。
最高のアイディアを書き留めるための出窓。
● 時計みっつめは「時計」です。
これは前述のふたつの物と違い、観念的なものです。
いらないのは「時間区切り」という制約。
その時間の象徴としてここでは時計と表現しています。
毎日同じ時間に起きて、毎日同じ時間に学校に行く。
同じ時間に同じことをして、同じ時間に決まった教科を学ぶ。
これはクリエイティブで知的生産的な生活ではありません。
やりたいことを、やりたいだけやる。これの重要さは意外と分からないものです。
学んでいて興味を持った。もっと知りたい。もっと研究したい。
ところが「時間だから」というくだらない理由で次の教科を強制的に学ばされる。
こんな、おしっこを途中で止めるような気持ち悪い生活、許されるわけがない。
1日という時間をどう使おうが自由。
朝から晩まで同じことを学んでもいいし、様々な分野に手を出してもいい。
その人の個性によって、もしくはそのときの気分によって。
それは自由に使われるべきです。
学校に必要なのは、太陽が見える大きな窓。
星が見える美しい天窓。
腹の音に耳を傾ける余裕。
アサガオとユウガオの植えてある花壇。
ほかにどんないらないものがありますか?
- 2007/01/11(木) 23:28:33
-
| Comment:22
2006年のP・マイブックオブザイヤー。(個人的に大ヒットな書籍の意)
1位はこいつに決定!
↓
↓
↓

「変えよう!日本の学校システム」 古山明男著
三色ボールペンでぐちゃぐちゃにしたくなる本。
この本のおかげで
モレスキンノートもぐちゃぐちゃです。
ペンで書き込みをして汚しまくりたい衝動に駆られる。
が、図書館で借りた本だから我慢!
汚したくなるほど素晴らしい本。
このような出会いはかなり嬉しい。
仕方がないので、ポスト・イットを使ってみた。

これなら本を汚さすに、本を荒らすことができる。

付箋替りとしてだけでなく書き込みもできる優れもの。
本は図書館で借りるという方にはポスト・イットをおすすめします。
この本には今の教育の問題点をただ羅列するだけでなく、ちゃんと海外にも目を向けて、さらに著者の考えでそれらを根本的に解決するアイディアが載っています。
僕が組み立ててる
教育2.0に限りなく近い。むしろそれを超えている。
- 学校に行く・行かないの自由
- 学校を選ぶ自由
- 先生を選ぶ自由
僕はこの3つの自由が重要だと考えていました。
ところがこの著者はさらに進んでいて「学校を作る自由」まで発想が広がっていたのです。
「先生が悪い」や「教育委員会が悪い」などの狭い視野での短絡的な責任追及ではなく、教育のシステムを変えることによって
根本的に解決するという他に類をみない教育書です。
いわば「本質」を突いているので、読みながら爽快な気分が味わえます。
だた、一度読んでしまうと「日本の教育のダメダメさ」が分かってしまうので、次の日から学校に行くのが怖くなります。
中高生がこの本を読むときはお気をつけください。(18禁)
すべての教育関係者に読んでもらいたい本です。
楽しくて、スリリングで、爽快な気分になれる秀逸の本です。
(やっとAmazonへリンクするタグが分かった。iframe使ってたのか)
- 2007/01/10(水) 18:10:54
-
| Comment:14
2006年、読んだ本の一部を集めてみたよ。
(ちゃんと借りた本記録しておけばよかったーっ!)













時系列順じゃないけど、上に行くほど新しいはずね!
まずは3位の発表

「ディズニーランド流心理学 『人とお金が集まる』からくり」
ディズニーがいかにすごいかわかりました。
日本人とは思えない発想が向こうにはあります。
自分がディズニーランドにいるときは気がつきもしなかった。
読むだけで「これはすごい」「この発想はなかった」「鳥肌たった」という単語が頭を駆け抜けます。
立地の理由から、園内の配置、すべてが考えて尽くされてます。
自分がディズニーで当たり前のことが、いかに非常識なテクニックで保たれているか知ることができます。
そして第2位!

「強育論」
これは夢中で読んだ本。いままで「常識」と思ってたことが覆されます。
例えば、生徒に分かるまで丁寧に熱心に教える先生。
今までそれは【良い先生】だと思ってました。
でも、この本を読んでそれは【悪い先生】に変わりました。
第1位は次に持ち越します。
次回、長くて、けっこう写真付なものをお送りします。
- 2007/01/09(火) 18:10:35
-
| Comment:16
モレスキンノートの怪力でモレスキンノートを話題にしてから早3週間。
使用量を見てみましょう。

だいたい4分の1ぐらい使い終わりました。
僕がモレスキンに触らない日はありません。
モレスキンを使ってからというもの、他のメモ帳が稚拙に見えるようになりました。
デザインもださいし、紙もペラペラでアイディアを書こうとする気にもなれません。
その点、モレスキンにはものすごい安心感があります。
丈夫な紙に、硬くて頑丈なカバー、外れる心配のないページ。
この安心感を味わうと、他のメモ帳が不安に見えて仕方がない。
ほかのメモ帳にはこの安心感がなくて「大切なアイディアを預けられない!」って感覚に襲われる。
他に類をみない堅牢性をモレスキンは兼ね備えている。
カバーがとても硬いので、たとえ車に轢かれようとも、ボブサップに殴られようとも、大切なアイディアを守ってくれる。
使われている紙もそのへんの紙じゃなくて、ハリーポッターの世界に出てくるような羊皮紙のような温かみがある。
モレスキンは溢れ出てくるアイディアを受け止めてくれる安心感がある。しかもある程度高価なので(1680円)自然と大切にしようという気持ちが高まる効果もある。
もしモレスキンが100円とか安価に売られていたら、みんな粗末に扱ってモレスキンの良さを誰も味わえなかっただろう。
薄っぺらくて、ふにゃふにゃのメモ帳とは違って、ネタ帳としての存在感がしっかりしているのも気に入っている点だ。

存在感があり、「モノ」としての実感を味あわせてくれる。(これは実際に使ってみないと分からない)
しかもカバーの手触りが良いのでいつまでも触っていたくなる。
手触りと雰囲気までデザインされているモレスキンはかなり完成度が高い。
何も書くことがなくても、モレスキンを開くだけでアイディアが飛び出してくるというパブロフの犬のような現象が起きるのも印象的だ。
開けば出るから、それを書く。
この謎は誰にも分からない。
モレスキンの中身を少し公開。



続き続き2続き3続き4
- 2007/01/08(月) 03:41:21
-
| Comment:17
前回のエントリの「
リカバリする前にやっておくべきこと」が、意外な人気があって驚きです。
あれは完全に、自分のためのエントリ。いわば自己満足。
ブログをバックアップツールに使うというテクニックだったのに、あんなにコメントがくるとは驚き。
それで思ったのがいままで僕は文章を見られることを無意識に感じていたんだと思う。
やっぱりよそ行きの文章をして、アップしてる。
ブログは自己表現のツールでありながら、世界を作り出せる。
第三者向けの文章を書けば、開いた世界になる。
自分のためだけに文章を書けば、閉じた世界を作り出せる。
開いた世界が総じて良いというわけではなくて、閉じた世界が人を惹きつけるときもある。
ここから学べるのは「ブログは誰のために書くのか?」ということ。
読み手の対象は2つだけ。『自分』か『自分以外』か。
自分以外を対象に文章を書くのもいいけど、逆に自分のためにブログを使うと、それが逆に面白いときもある。
自分のために書いた記事は、他人が役に立つときもある。
自分の書いた文章が、1年後か2年後、もしくは10年後に検索されて、ある人に読まれて1人の人間の命を救うかもしれない。
たとえ自己満足の文章でも、楽しめる人がいる。
最低でも1人は楽しめる。
自分が楽しめる。
そしておまけとして他人も楽しめる。
書いてる本人が楽しんでるブログは、面白い。
○
まとめ自分のためにブログを書こう
- 2007/01/08(月) 00:50:32
-
| Comment:6
やっぱり人間、1年に1回はパソコンをリカバリしたくなるものです。
だからパソコンの中がグチャグチャしてきて、スッキリさせたくなるもん。
リカバリする3日前ぐらいからバックアップ作業をちょろちょろやるのです。
そのときに「リカバリする前にやっておくべきこと」とかでググって探すのも面倒なので、そういう文章を自分で書いてみることにした。
もうすぐ2008年だし、スッキリした状態で新年を迎えたいですね。
『自分用のリカバリマニュアル!』手順1 バックアップまずは、絶対にバックアップするべきもの!
そして必要に応じてするもの!
- 自分で作ったファイル
- 音楽ファイル
- 画像ファイル
- 撮った写真
- その他、適当に
僕はこれらのバックアップに3日かけました。
(3日かかるってわけじゃなくて、僕が空き時間にだらだらとやってたから。真剣にやれば1時間以内に終わります)
そしてバックアップファイルをCDに焼いたらおしまい。
◎
ユーザー辞書をバックアップするには◎
IMEのユーザー辞書の移し方は?手順2 ディスクの準備ディスクの準備をします。
できましたか?
じゃあ終わり。
いちおう用意するものリスト
- リカバリディスク
- 各種ドライバのディスク
- フレッツ接続ツール
- セキュリティ系のソフトのディスク
- バックアップしたディスク
- 接続機器に付属してるディスク
手順3 リカバリ準備できたら、リカバリディスクを入れて、電源を切る。
切ったら電源を入れて、適当に「F12」を連打。
あとは適当に。
ウィーン、ガリガリガリガリガリ……
ここから先はリカバリ後に見てくださいよ、未来の僕よ。
手順4 重要なソフトのインストールプレインストールされるソフトとか、フレッツ接続ツールとか、セキュリティソフトをインストールしてから、このページを見ていると思う。
このページを見る方法は「365日坊主」を開いてから、サイドバーの検索で「リカバリする前に」と検索すればこのページが見れると思う。
まずはWindowsUpdateでもしてきなさい。
うん、おかえり。
たぶん君はIEでここを閲覧してるだろうから、すごい屈辱的であると想像できる。
2007年12月の自分の気持ちが手に取るように分かる。
君はタブブラウザじゃないと納得できないんだね。
タブブラウザ RSSリーダー付インターネットブラウザ Lunascapeはい。ちゃんとリンクを張っておいたよ。
ほかにも欲しい物があるだろ?
ちゃんと調達しておいたよ。
ふぃー、こんなもんだろ。
ランタイムとか.NET Frameworkとかは、適当にやってくれたまえ。
手順5 設定を整えるマウスポインタが、自動的にボタンの上にくるように設定。
壁紙は「なし」に設定。
スクリーンセーバーも「なし」に設定。
とにかく軽くなるようにするべし。以上。
手順6 来年のためにさぁ、2008年の僕よ、2009年の自分のために、この記事と同じような記事を書くのだ。
- 2007/01/06(土) 23:08:44
-
| Comment:17
ハァーイ! 新年あけました! おめでとう!
ここはどこですか?
2007年でございます!!
平成19年・2007年・21世紀 すべてが新しい。
雪は降ってないけれど、雨が降っている!
何かを転がして固めたくなる年ですね。
僕の正月は寝正月でした。風邪で。
12月31日に風邪のままバイトに行き、がんばって帰宅して、そのまま伊豆の田舎へ帰省。
29日~5日(現在進行形)で風邪が進行してまいるぜ。
というわけでやっとパソコンに触れて、年賀状企画も終了いたしました!
みなさんの元へ年賀状は届いたでしょうか?
メールでの受信を希望した方には、本日メールにて画像を添付ファイルにして送信しました。
ハガキで希望した方は、たぶん1月1日に到達したと思います。
みなさん明けましておめでとうございます!
今年もがんばっていきますので、よろしくおねがいします。と。
……よし、新年の挨拶はこれくらいでいいだろう( ・∀・)ニヤニヤ
↓
↓
↓
↓
【裏】年賀状企画!年賀状企画応募者の、ハガキで応募した方にサプライズ!
年賀状の左下に「謎の数字と文字」があったのにお気づきかな?
これは、みんなの年賀状と繋げて読むとあるメッセージが見えてくるぞ!
1.酒茶漬けさん
blog ↓
2.あやさん
blog ↓
3.ぁゃさん
blog ↓
4.としさん
blog ↓
5.Hikaru!さん
blog ↓
6.恵生さん
blog ↓
7.凌子さん
↓
8.まるこめさん
blog ↓
9.りょたさん
blog ↓
10.結羽季さん
↓
11.月夜里515さん
↓
12.金色の発光体さん
blog ↓
13.erekimanさん
blog ↓
14.小森さん
blog ↓
15.亜蘭さん
blog ↓
16.おさるさん
blog ↓
17.タルクルさん
blog1番から17番までの文字を繋げると……17文字のメッセージが!
そして今年も、良いお年を!
- 2007/01/05(金) 12:31:49
-
| Comment:26