「教育2.0」というのを知っていますか?
「きょういく にいてんぜろ」と読みます。
これは既存の教育、つまり今の教育システムを「教育1.0」と呼んだときと対照に位置するシステムです。
教育1.0と教育2.0の違いを見比べてみると、まったく正反対なことに驚きです。
教育1.0の世界で生きていた人にとって教育2.0は奇特なものに見えるでしょう。
大人からみれば奇をてらった無秩序の世界に見えるかもしれません。
なぜならば教育1.0の世界になじみすぎてしまったから。
教育1.0の世界に長く住みすぎて教育1.0の思想が頭にこびり付くと、教育2.0を受け入れるのは困難です。
まず、教育1.0の世界での中学以下の教育は「小中学校」に独占されています。
ひとつの市場にひとつの会社しかないような状態です。
これはとても危険なシステムだということは一目瞭然です。
生徒は学校を選べないし、学校は独占という安心感から向上をやめ停滞を始める。
複数の学校があって、生徒はそれを自由に選べる。
これにより独占を防ぎ、活発な教育を保つのです。
「
教育2.0を紹介します」から引用すると
予算をどのように使うかがマスターの腕の見せ所です。
ここには最高の自由が許されていて、予算を100%使ってなにをしようが自由です。
それによりマスターの信念がそのまま学校になります。
(中略)
ただし、無茶苦茶にやると生徒は離れていきます。
なぜならば転校が自由だから。
駄目な学校からは生徒が離れていきます。
するとその学校は潰れます。
必然的に、悪い学校はなくなって、良い学校だけが残るシステムなのです。
こういう点ではマスターというのは「校長」ではなく「社長」に近い職業といえるでしょう。
このように教育2.0では人の動きが活発です。
生徒は常に「良い学校はないか」とアンテナを張り巡らします。
学校は「生徒に最高のサービスを提供しよう」と創意工夫を凝らします。
教育1.0では、こうは行きません。
生徒は自分に適した環境を求めず、自分の居場所を探すことをしません。
学校も努力して向上しなくても、生徒は逃げていかないのでダラダラと活動します。
教育1.0はとてもゆるいのです。
真剣にやっても、ダラダラやってもなにも変わりません。
すると必然的にダラダラした学校ばかりになります。
教育2.0はとても厳しいです。
だめな教育をすると生徒は逃げていきます。
簡素な書類手続きだけで30分もあれば転校が完了します。
それぞれの学校のマスター(学校の手入れ調整をする役職)はアイディアを競い、切磋琢磨して最高の学校を作り上げていくのです。
生徒同士だけでなく、学校同士でも向上し続ける環境は弱肉強食の世界です。
教育の環境だけでなく、内容も教育1.0はゆるいです。
決まった時間に、決まったことをすればよいのですから、馬鹿な生徒にとってはとても楽な環境です。
だんだん堕落していき自分で考え選択するという能力が退化します。
論理的な行動をしなくなり、「先生が言うことだから正しいのだろう」と考え、自分で考えることをしなくなります。
ただ、先生の言うことを聞いていれば優等生と言われるのでますます堕落していきます。
それに対して教育2.0はとても厳しい世界です。
決まった時間に、決まったことをするというルールはありません。
自由に、好きなように自分を高めることができます。
馬鹿な生徒にとっては地獄のような世界です。
自分で考えることができないので、自分の意見や信念を持ちません。
周りは夢や希望を持って自ら意欲的に学んでいるのに、自分だけポツンとなにもすることが見つからない……
逆に頭のいい生徒にとっては最高の環境です。
自分の信念・理念・美学にそって素直に行動できるのです。
学校は自分の行動を広げるために最大限の努力をしてくれます。
興味や関心、自分の夢に向かって突っ走れるのです。
前述で「馬鹿な生徒」と「頭のいい生徒」に分けて書きましたが、ではこの馬鹿な生徒は誰が生み出したのでしょうか。
それは教育1.0が生み出した生徒です。
教育1.0の世界にぬくぬくと浸っていれば馬鹿な生徒が簡単に出来上がります。
責任もない、自由もない。自分が高められないのは教師のせいだ、と責任を押し付けることもできます。
教育2.0はとても辛くて厳しいのです。
学校は「最高の環境」を生徒に提供します。
生徒は目の前にある最高の環境をどう使おうが自由。
自分を高める仕事は自分でやるのです。
他人に責任を押し付けることができません。
教育1.0は豪華客船の旅と言えます。
教育2.0は徒歩でジャングルを突き進むようなものです。
道を切り開く責任がのしかかります。
ただし、進む道は自由。
責任には自由が伴うのです。
人生の中で「責任の大きいほう」と「責任の小さいほう」を選択するときがあるかもしれません。
そこは「責任の大きいほう」を選択したほうが自由度が高いのです。
責任が大きいと自由に行動できない。
そういう人もいるかも知れません。
でも、それは間違っています。
責任が大きければ大きいほど自由になれるのです。
会社の平社員と社長を考えてみましょう。
平社員のほうが責任は少ないし、気楽です。
社長は会社の存続にかかわるため責任は重大です。
でも、どのように会社を運営するか、どのような方向性にするか「自由」があります。
人生でなにか選択するべきことがあったら責任の重大なほうを選びましょう。
なぜならば責任には自由が伴うからです。
自由というのは選択の自由。
可能性が広がります。
人生が楽しくなります。
もう一度言います。
責任には自由が伴います責任が大きければ大きいほど、あなたは自由になれるのです。
教育2.0の世界へ、ようこそ。
- 2007/01/14(日) 09:39:33
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