日本の教育機関は学校しかありません。
教育を受けようと思ったら「学校」しか選択肢がありません。
誰もが学校というぬるま湯に漬かり続けるしかないのです。
おなじ漬かるなら、良い物のほうがいい。
学校というのは人を生み出す土壌です。
魚にとっての水のようなもの。
いい場所にいれば自分を高めることが容易になる。
人を殺すか生かすかは学校に依存されます。
強かれ弱かれ、学校は人に多大な影響があることは否定できません。
それでは「いい学校」とは何なのか。
それを考えるために「わるい学校」というのを見てみましょう。
あなたはすでに悪い学校を見ているはずです。
歩けば悪い学校にぶつかります。
悪い学校の定義とは「人を見ず、学校の勉強を基にした学力しか見ない学校」です。
「面接」のない学校。これは論外です。
こんな馬鹿学校にはこっちから願い下げです。
書類選考とペーパーテストだけで人を判断するようなぶっ飛んだ学校に入ったら人生をダメにします。
間違っても入学してはいけません。
「個性を重視する」ことを掲げている学校。これもいけません。
こういった学校はたいてい個性を重視していません。
そのように公言したほうが学生が集まるだろうという浅ましい考えを持つ学校は馬鹿です。
そもそも個性を重視するのは当たり前であり、口に出すことじゃありません。
「うちの学校は個性を重視するよ」ってのは「うちの学校には空気があるよ」と同義語です。
あって当たり前のことをわざわざ言うなんて愚の骨頂です。
「つまらない試験」を実施する学校。何を考えているのでしょう。
せっかく人を見るチャンスなのに、学力の試験だけ。
ちょっと流行に乗って「小論文」も取り入れてみたり。
そんな右へならえの精神を未だに持つ学校。こんな馬鹿学校は近所にたくさんあります。
子供じゃないんだから周りの学校と同じ試験をしてどうするの。
そんなので何が見れるの? すこしはその頭脳を働かせなよ。
その脳みそは飾りじゃないんだからさ。
「わるい学校」を端的に表すならば「頭の悪い」学校です。
特徴を言うならば「施設のよさばかり強調する学校」(ハードしか自慢することがない)、「学術試験で入学者を選別する学校」、「周りと見分けがつかない学校」などです。
過去の栄光の上にあぐらをかいて、まったく進歩しようとしないのです。
社会も、人も、日々移り変わっているというのに変わろうとしない学校です。
知っている学校を何個か挙げてみてください。
何個か「わるい学校」に該当するんじゃないですか。
人生は楽しく生きたい。
だから楽しい学校に行って欲しい。
残念ながら日本は高校・大学と有料です。
入学するこっちはお客さんなんです。
金を払って馬鹿な学校に行かないでください。
なにか得るものがあるところに行って。
人生を変えるような出会いがあるようなことろに行って。
最高のサービスを、最高の学校で。
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まとめ頭のいい学校にいこう
- 2007/03/26(月) 23:02:19
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