365日坊主

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問い:脱ぐことに関して

「脱ぐということについて」



作品を通して僕が脱ぐということは、どういうことなんだろう。


僕はそもそも人が怖い。自分を強く見せるために脱ぐ。そういう一面もある。
脱ぐという行為は、自分にとって、威嚇なんだな。
だからどうしようもないときは脱ぐしかない。

オブラードを剥がすことによって、相手へ強いイメージを与えることができる。

そしてこれはシャイな自分への反逆だ。逆襲だ。
スイッチを壊して、メーターの振れ幅をふっきるための儀式だ。
自分はどこまでできるのかな。というチキンレース。
ビクビクしながら自分の限界を肌で感じる。

そして自分が男であるための再確認。

裸ならば、否が応でも、下を見れば男と言うことが分かる。




「脱ぐことで、得られること。気づいたこと。」


脱ぐということで、知ることはたくさんある。
人の弱さを知る。物陰の音にとても臆病になる。
裸であることよりも、脱ぐ瞬間のほうが遥かに緊張感がある。
だからこそ全身の知覚神経がフル活動することに、一歩進んだ世界が見えてくる。

裸で芝生に寝っ転がることは、想像以上に気持ちいい。


全裸であるという非日常を使うことによって、脳に気持ちいい刺激が伝わる。
この興奮は自分への啓発的なドキドキ。
わかりやすく言うと創作のエネルギーを沸き起こしてくれる。


僕はときに全裸で外にいても、全裸ではないように振る舞う。
脳が全裸だと認知してないのだ。
恥ずかしい。超はずかしい。恥ずかしいからこそ、脳が急いでこの状況に慣れようとする。
そうやって必死に慣れようと脳が活発に動く刺激こそが、クリエイティブな精神にパワーをくれる。




Eureka!

喜びの表現だ。

Eureka!

快感だ。

Eureka!

楽しんでるんだ。






シルエット伯爵に愛を込めて


やなせさんにとってのヌード写真は、自分自身を見失わないための行為だったのかな?
対象が何であれ、写真撮影には、そういう自己認識の働きがあるように思います。
だって、写真に写っちゃったんだから、認めないわけにはいかないもんね。
2008/07/30 K-Hyodo
  1. 2008/10/11(土) 12:00:00
  2. | Comment:7

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2006年12月14日設置