365日坊主

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台湾到着

13日に髪を切った。初めての短髪。ツーブロック指定した。かやさんに連絡した。
14日に那覇経由で台湾到着。
住所をきいて増田捺治と合流。まずはカレー屋へ。
家にr8studioのメンバーが集まって発送梱包作業。86冊出ててすごい。
夜はみんなで夜ご飯へ。映画を見たり、映像を見せたりした。


1時間映画を完成させるのすごい。完成はとにかく奇跡である。
僕も唯一つくった映画を見せた。


渋家映画祭に出品した10分縛りの映画。「人が死ぬと時代かわるの面白すぎるでしょ!」というマインドを使ったギャグが今見ると新鮮。

次に大学1年の終わりに作った映像を見せた。

これは1stヘルハウスから渋谷に離れていく動画。
このテストが20歳の作品に受け継がれていく。
そしてこの1年後に撮った映像がこれ。



背景をシンプルに、色彩も無くして地味さを攻めた。地味が当時のブームだったのだ。
ほぼ10年前という時代を見ることができたと増田捺治は言っていた。

24時ぐらいに寝た。

15日は又吉チームらのライブ演奏があるという予定で動く。
昼から自転車で昼ごはんを増田捺治と瞳と食べに行く。
昨夜から台湾でヌード撮って雑誌つくろうよという流れになり、みんないいモデルさんに電話したりしてくれる。1人合流。そして撮れる場所探しで屋上を3つめぐり撮影する。ほぼフィルム。初対面の人のヌードは緊張する。
夕方は草御殿へ行き案内してもらう。そして、dream communityというプレイスへ行ってライブを見て、そこの人と話して焼肉屋へ演奏者たちと行った。
「不自然さ」について話した。
コミュニティは7年ぐらいで育つので、そこから何に変換するのか。それは都市に委ねられている。土地のエネルギーやメンタリティに依るところが大きい。交換可能性がお金しかないと、閉塞感につながっていく。那覇とはまたちがう台湾シーン。年代としては僕らより2世代上という感じ。50歳前後。ビルを所有して、アーティストをレジデンスさせて展示させている。徹底した自由が蔓延しているが箱がきれいで豪華なだけに不思議な感じ。これがオンボロ廃墟ビルだったら似合う景色なのに。
齋藤恵太が渋家を渋谷で始めたときのように、場所に対するセンスが超重要だと思った。
へとへとになって帰った。思い返せば、理想でもあるし、困惑でもあった。アーティストの応募を受け付けているわけではなく人間関係のネットワークだけで流動が起きていたのは良かった。システマティックにしなくちゃいけない規模なのに、そうではない感じ。

16日は、別のコミュニティ見学へ。「宝蔵巌国際芸術村」へ歩いていった。近い。山肌に張り付くようにコンクリのレトロ建築がコケのように群生している。まるでジブリ映画か。はたまた映画のセットか? 建築とロケーションが魅力的すぎる。これはまいった。まいったね。素敵すぎてもっていかれそうだ。サブカルでもなく、大きな規模であり、各部屋で制作が行われ、展示もされていた。ある種の理想である。少なくとも僕が思い浮かべる理想の状態すら超えていた。しかも田舎にあるのではなく、中心部から歩いていける距離だ。(15分という地味にめんどい距離ではあるが)。
周囲からはここに対する批判もあったり、社会とそれなりに接続しているさまが伺える。そして展示は正統派で、キャプションがあったり壁を使ったり等けっこう形式主義を感じた。本当のアートを受け入れる土壌があるのかは謎。でも、ここまでオルタナをやっていわゆる原宿の「デザインフェスタギャラリー」みたいにならないのは土地柄か。混乱と静謐が同居していて、普通に物件が欲しくなった。山肌に沿っているので、どの物件も日当たりがいい。道が迷路ですべてを保管しておきたい欲求にかられる。ひとつの参考エリアである。東京や日本では不可能だとは思う。
夜ははじめての釣り堀でのエビ釣り。

  1. 2019/02/17(日) 15:46:00

マカンコウ日報

25日ぶりに那覇にやってきました。
アーカイブマインドにはいって、ナハウス来るたびに写真とっている気がする。
渋家とちがって、ナハウスは変化が好きな人が多いので来るたび変化があって面白い。リビングの写真だけでどの時期か推定できるところもある。東京と那覇の交換もちょくちょく行われるようになって2016年の成果がじわじわ出ている。渋家の人のナハウス認知度も高まってきた。前回年越しで来た時に本棚を作ったりして部屋が気持ち広くなった。そしてソファの導入。これも気持ちがいい。
_DSC3309.jpg

あと木のソファーが低すぎて不便だったので高さを加えた。木工作業ができるようになったぞ。スピーカーも気づいたら増設されていて、イベントもより音量を増して実施できるようになっていてビビった。 そして今更ながら栄町商店街内に存在する強みが分かってきた。歴史とともに生きるって気持ちがいい。歴史から切り離された感が強いひとにとって強い味方だ。食べ物がある。これを最低ラインとして生きていると「人のために働くか!」という気持ちになってくる。「幸」がある。海の幸、山の幸ときたらここは人の幸だ。
_DSC3306.jpg 
歴史が壁に積み重なっていくので、面がいい感じになる。
肉も野菜も安いので栄町で買って冷蔵庫に補給した。また次きたらこの景色は変わっているだろう。人数も5人と少ないので、承認から実行が早い。東京の比ではない。
巨大ソファーの資金投資をしてくれたシーマン、ぬまさんには感謝しかない。周囲の人に愛されているところも旧来のコミュニティっぽくて良い。ナハウスに住んでいる人へのリスペクトがある。あと冷蔵庫の上にある手作り梅酒は我那覇純都の差し入れだ。
こういった歴史をまとめた「年刊ナハウス」というのがあるので手に取る機会があれば読んで欲しい。那覇でこのような場所を維持する熱量というのが人それぞれあって興味深い。
  1. 2019/02/12(火) 16:34:00

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2006年12月14日設置