2019年の5月9日になった。たぶんそれは海の上で、今は台北市に向かうバスの中だ。11日前に30歳になり、これから台湾で暮らすことにした。東京でやることがなくなり、居場所を新たに作るためだ。東京⇔沖縄という円環の中に自分を閉じ込めたくなかったし、なにより新しいことができればそれでよかった。東京に嫌気がさし、沖縄を開拓し、また東京を再発見したところで会社という帰る場所を確保した。この強化された地盤を東京で活用することができず、ずいぶんやきもきさせたと思う。この地盤は台湾で増やすことにした。端的に物価が安いしね。
2016年からギュウギュウに固められた台湾へのボルテージは今ここに点火された。今考えれば呼ばれていたね、台湾に。伏線の回収だ。木皮成くんも台湾がパフォーマンスの中心になると教えてくれていた。台湾に向かう飛行機の中で沖縄に行く時を思い出した。新天地への恐怖。こればっかりはしょうがないね。A地点からB地点へ向かう宙ぶらりんの状態。どこへも着地してないこの身体。
(ここで飛行機から降り、15日まで時間が飛ぶ)
時間が経つ速さに驚いている。雑誌令和の続きだが出発前日の8日に祖父が亡くなった。台湾に到着した日にお通夜に、翌日に葬式だ。人生初めての葬式に参加できなかったのは心惜しいが、こういうことなのだ。ライフステージに変化はなく、ただ同じレイヤーで移動し続けている。祖父が背中を押してくれたのだと解釈している。台湾にきて一週間。家具が揃ってきた。語学を勉強していると、勉強のやり方が分からないことに驚く。そういえば勉強なんてしたことがなかった。言葉を知るほど日本語の構造が明らかになっていく。そして英語も上手くなっていく。分からない時はとにかく英語に頼っちゃう。思うに自分がなぜここにいるのかと問うてしまう。もっと語学ができる人が行くべきだと思うという念が強い。けれど実際に動けるのは自分だけ。帰れない、居場所がないということはこういう仕事を押し付けられるのだ。ただそれだけを知って欲しい。家庭があり、土地に紐づいた仕事がある人にこの仕事のお鉢は回ってこない。ただ、この仕事にも伝統と歴史があり、高めていくことができると。ただ今は信じたい。
- 2019/05/17(金) 18:08:00
-