13日に髪を切った。初めての短髪。ツーブロック指定した。かやさんに連絡した。
14日に那覇経由で台湾到着。
住所をきいて増田捺治と合流。まずはカレー屋へ。
家にr8studioのメンバーが集まって発送梱包作業。86冊出ててすごい。
夜はみんなで夜ご飯へ。映画を見たり、映像を見せたりした。
1時間映画を完成させるのすごい。完成はとにかく奇跡である。
僕も唯一つくった映画を見せた。
渋家映画祭に出品した10分縛りの映画。「人が死ぬと時代かわるの面白すぎるでしょ!」というマインドを使ったギャグが今見ると新鮮。
次に大学1年の終わりに作った映像を見せた。
これは1stヘルハウスから渋谷に離れていく動画。
このテストが20歳の作品に受け継がれていく。
そしてこの1年後に撮った映像がこれ。
背景をシンプルに、色彩も無くして地味さを攻めた。地味が当時のブームだったのだ。
ほぼ10年前という時代を見ることができたと増田捺治は言っていた。
24時ぐらいに寝た。
15日は又吉チームらのライブ演奏があるという予定で動く。
昼から自転車で昼ごはんを増田捺治と瞳と食べに行く。
昨夜から台湾でヌード撮って雑誌つくろうよという流れになり、みんないいモデルさんに電話したりしてくれる。1人合流。そして撮れる場所探しで屋上を3つめぐり撮影する。ほぼフィルム。初対面の人のヌードは緊張する。
夕方は草御殿へ行き案内してもらう。そして、dream communityというプレイスへ行ってライブを見て、そこの人と話して焼肉屋へ演奏者たちと行った。
「不自然さ」について話した。
コミュニティは7年ぐらいで育つので、そこから何に変換するのか。それは都市に委ねられている。土地のエネルギーやメンタリティに依るところが大きい。交換可能性がお金しかないと、閉塞感につながっていく。那覇とはまたちがう台湾シーン。年代としては僕らより2世代上という感じ。50歳前後。ビルを所有して、アーティストをレジデンスさせて展示させている。徹底した自由が蔓延しているが箱がきれいで豪華なだけに不思議な感じ。これがオンボロ廃墟ビルだったら似合う景色なのに。
齋藤恵太が渋家を渋谷で始めたときのように、場所に対するセンスが超重要だと思った。
へとへとになって帰った。思い返せば、理想でもあるし、困惑でもあった。アーティストの応募を受け付けているわけではなく人間関係のネットワークだけで流動が起きていたのは良かった。システマティックにしなくちゃいけない規模なのに、そうではない感じ。
16日は、別のコミュニティ見学へ。「宝蔵巌国際芸術村」へ歩いていった。近い。山肌に張り付くようにコンクリのレトロ建築がコケのように群生している。まるでジブリ映画か。はたまた映画のセットか? 建築とロケーションが魅力的すぎる。これはまいった。まいったね。素敵すぎてもっていかれそうだ。サブカルでもなく、大きな規模であり、各部屋で制作が行われ、展示もされていた。ある種の理想である。少なくとも僕が思い浮かべる理想の状態すら超えていた。しかも田舎にあるのではなく、中心部から歩いていける距離だ。(15分という地味にめんどい距離ではあるが)。
周囲からはここに対する批判もあったり、社会とそれなりに接続しているさまが伺える。そして展示は正統派で、キャプションがあったり壁を使ったり等けっこう形式主義を感じた。本当のアートを受け入れる土壌があるのかは謎。でも、ここまでオルタナをやっていわゆる原宿の「デザインフェスタギャラリー」みたいにならないのは土地柄か。混乱と静謐が同居していて、普通に物件が欲しくなった。山肌に沿っているので、どの物件も日当たりがいい。道が迷路ですべてを保管しておきたい欲求にかられる。ひとつの参考エリアである。東京や日本では不可能だとは思う。
夜ははじめての釣り堀でのエビ釣り。
- 2019/02/17(日) 15:46:00
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